古墳時代中期から平安時代にかけて、海岸線がふたたび内陸側に移動を始め、新砂丘が海岸側に形成されると、信濃川のもっとも下流部の湿地帯として取り残されることとなった。そのため、自然堤防や砂推などの微高地での生活や、周辺の湿田での耕作も融雪期や台風などの集中豪雨による洪水の影響をさける事はできなかったであろう。明治時代以降になると、農業用水質源確保や交通手段としての水路の確保、さらに洪水の影響を少しでも軽く目的で人の力で堤防を補強したり、流路をかえたりする河川改修がおこなわれるようになった。また、湿地は自然に土砂がたまって干上がるったり、人工的に埋め立てられたり農地にかえられていく。最近になって河川の改修と同時に湿田の乾田化が大規模に進められ、古くからの自然の姿を残す平野はほとんどなくなってしまった。しかし、古い湿地帯の名残りはゼロメートル地帯として周辺に点在している。